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TREASURE BOX(宝箱)は引っ越しました

お出で頂き有難うございました。 新しい引越し先はこちらです。 コチラです
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大企業は消費増税大歓迎


私のブログアドレスが変わりました。
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http://waaiwaai.at.webry.info/201403/article_1.html

秘密保護法成立を助けたメディア


DSC_1398s

京都府立植物園にて



今頃になって大マスコミも連日「秘密保護法案」反対の論陣を張ってはいるが、

なんで今頃?この悪法は安倍政権が発足する以前より用意周到に準備され

ていたものです。せめて衆院選の時点でこの悪法を大メディアが総力挙げて

暴いていたら、多少とも自民党の一人勝ちは防げたかもしれません。今頃に

なってメディアが政府の暴挙や法案の危険性を訴えても安倍政権にとっては

「蛙の顔にションベン」痛く痒くもなく、数では圧倒的多数の自公与党が、少数

野党を蹴散らして今日にも強行採決で成立する見通しです。

今日付け(12月7日号)の日刊ゲンダイが安倍政権にナメラレタ大メディアの

実態を暴露しています。元NHK政治部長の川崎泰資氏は言う「第一次安倍

政権は大マスコミを敵に回して失敗した。その教訓で、今度の安倍官邸はメ

ディアの取り込みを積極的に進めてきた。経営トップ、編集幹部と飯を食い、

そうやって、関係が深まったTV局には出演した。気がつくと、殆ど全部の大

メディアが安倍官邸の顔色を伺い、なびくようになったのです。安倍官邸にして

みれば『してやったり』で、メディアは手なずけたと思っている。一部のメディア

が秘密保護法に反対しても平気のへいざ。だからこそ、こんな強行採決をした

のです。ナメラレているんです完全に」

そんな話を裏付けるように、読売新聞の渡辺恒雄会長は法案審議がたけな

わの今月2日、パレスホテル「和田倉」で安倍と飯を食った。ナベツネは1月7

日、9月10日も同じ和田倉で安倍と会食をしていて、首相とのディナーが定

例化しつつある。秘密保護法には大反対の朝日の木村伊量社長は2月に帝

国ホテルの中華料理屋「北京」で、7月には永田町の日本料理屋「黒沢」で安

倍と合っているし、4月には曽我豪政治部長も会食をしている。毎日の朝比奈

豊社長は椿山荘で、共同通信の福山正喜社長はアークヒルズで、フジテレビ

の日枝久会長に至っては芝のフランス料理「クレッセント」飯を食っただけでは

なく、夏には山梨県で安倍と3連チャンのゴルフ。挙句は11月3日、旭日大綬

章まで貰っているのだから。権力の監視などできようはずがない。

                        日刊ゲンダイ12月7日号より抜粋


今更大メディアが後出しジャンケンで反対の論陣を張ったところで、反対したよ!

と言うアリバイ作り、屁の突っ張りにもなりません。戦時中に軍部の片棒を担

いで戦争への世論形成を助けたメディアの堕落を思い起こします。



テーマ : このままで、いいのか日本
ジャンル : 政治・経済

ほんとうの戦争



IMG_1363.jpg
 




アレン・ネルソンこの名前を知ったのは大阪民主新報と言う新聞の

小さな囲みでした。彼は沖縄で度々暴行事件を起こすあのアメリカ

海兵隊の一員でした。ニューヨークのスラム街の貧しい家庭で育ち、

粗野な若者でした。18歳で海兵隊に入隊、沖縄で訓練を受けた後

ベトナムに1年間従軍した。ベトナム戦前では彼は多くのベトナムの

婦女子・老人を殺して、一人前の兵士として成長?しますが、ある日

ベトコンを襲撃を避けるために壕の中に飛び込むと暗闇の中で、産気

づいたベトナム人女性と遭遇、彼女の赤ん坊を取り上げお産を助けま

す。そこから徐々に自分のして来た事に矛盾を感じます。上官の許可

の元に戦場を逃げ出します。懐かしい我が家に帰ってきたら、母親に

追い出されて、いつも戦場の幻覚(PTSD(心的外傷後ストレス障害)

に追い回されて家族からも見放されてホームレスに・・・そんなある日

今は小学校の教師をしている同級生のダイアンに頼まれて子供達の前

でベトナム戦争の体験談を話すハメになります。

~~以下原文のまま~~~

ダイアンが子供達に「ミスター・ネルソンを紹介します」「ミスター」を付け

られ、自分が紳士としてあつかわれた事にとても違和感を覚えました。

私は仕事もないホームレスの、どうしようもない男だったのですから、ミ

スターなどと呼ばれる資格はないと感じたのです。

~~中略~~

子供達が私を見つめます。咳払いを一つして、そして、ぎこちなく話し始

めました。「1965年に私は海兵隊に入りました。そして、ベトナムに行き

ました」それから、戦争というものが、たくさんの人が怪我をする。どんなに

恐ろしく、悲しいものであり、しかも莫大なお金はかかるものかという事を

話しました。ただし残酷な話にはほとんど触れませんでしたし、もちろん、

私がベトナムでしたことについてはいっさい語りませんでした。ベトナムが

どんなにむし暑いところかという事、どんなに恐ろしい虫がジャングルにウ

ジャウジャ生きているかということ、そのベトナムのジャングルでアメリカの

兵隊が何万も死んだこと、戦友が死ぬことがどんなに悲しいことかという事、

~~中略~~

相手が子供たちだから、ほんとうの戦争の話、つまりベトコン兵の死体が

バラバラになっていたり、敵の死者数を調べるために首・胴体・腕・足を集

めたりするような話は到底彼らには耐えられないだろうし、すべきでないと

思ったからです。そしてなによりも、それをしたのが彼らの目の前にいる、

ほかでもない私であることを知られるのが恐ろしかったからです。それでも

子供達は真剣に私の話を聞いてくれました。話し終えると、拍手がありま

した。ダイアンは質問はないかと子供達に訪ねました。

~~中略~~

そして最後にそれが起きたのです。

一番前に座っている、小柄な女の子でした。その子が手を上げると・・・

女の子は利発そうな顔立をしていました。彼女はさっと起立すると「ミスター

ネルソン」女の子は瞬きもせず、私をまっすぐ見つめると、訪ねました。それ

は私にとって運命的な質問でした。「あなたは、人を殺しましたか?」誰かに

お腹を殴られたような感じがしました。私の体はこわばり、重くなり、教室の

床がめりこんでいくような気がしました。教室の中の全てが、こどもたちが、

子供たちの描いた絵が、そして写真の中のマーチン・ルーサー・キングが、

私を見つめていました。じっと待っていました。私が、何か言うのを・・・でも

私は何も言うことが出来ませんでした。私は目をつむりました。私の心の中

の深い暗闇が穴を開けていました。そして、その暗闇の中から、私が始めて

殺したベトナム人の死体が浮かび上がってきました。

~~中略~~~

心の中では、様々な声が入り乱れていました。ひとつの声は、このまま教室

を立ち去れと言っていました。もう一つの声はこう言っていました。「お前はほ

んとうの戦争の事を誰も教えてくれなかったらこそ、今の壊れかけのお前は

いるのだ。だから、子供達に真実を知る権利がある」と。しかし、もしYESと

言ったら、子供たちにとって私は「ミスターネルソン」ではなく、残虐な殺人者

であり、子供達は私を怖がるに違いありません。

どのくらいの沈黙が続いたのか、今でもわかりません。あっと言う間の事だっ

たような気がしまし、五分六分も続いたような気がします。

気がつけば、私は、つぶやくようにして、しかし、はっきりとした口調で「YES」

と答えていました。もう後戻りはできませんでした。自分が人殺しであることを、

無垢な子供の前で認めたのです。私の目はまだ閉じられていました。目を開

けることが出来なかったのです。目を開ければ、私に向けられた恐れや憎し

みに満ちたたくさんの視線を見ることになるだろうと思ったからです。

~~中略~~

その時だれかの手が私の体に触れるのを感じました。思わず目を開くと、私の

腰に小さな手を回して抱きしめようとしている、質問をしたあの女の子の姿がそ

こにありました。女の子は、私を優しく抱きしめました。女の子の頭は私のお腹

のあたりに有り、そのお頭が動いて、私を見上げました。女の子の瞳には涙が

いっぱい溜まっていました。「かわいそうなミスター・ネルソン」女の子はそう言

いました。彼女は私のために泣いてくれているのです。頭がじんと痺れたように

なり、胸が大きく波打ち、突然息がうまく出来ないようになりました。深呼吸しよ

うと、大きく息を吸い込み、そして震えながら息を吐きました。と同時に私の目か

ら大粒の涙が幾粒も幾粒も頬を伝ってきました。涙は頬から顎へまわりこみ、ボ

タボタ落ちていくのが分かりました。涙でぼうっとした目に、次々と周りによって

くる子供たちの姿見えました。子供達は一人、また一人と、私の体を抱きしめま

した。教室の片隅でダイアンも涙を拭っていました。

私の中では、この時、何かが溶けたのでした。
 





アレン・ネルソンさんは2009年3月26日、ニューヨーク市内の病院で亡くなった

享年61歳、お骨は生前日本の憲法9条を愛してたネルソンさんのご遺志で、加

賀市山田町の真宗大谷派寺院「光
坊(こうせんぼう)」に納骨された。

 

テーマ : 伝えたい事
ジャンル : ブログ

体調壊す・・・


連日猛暑が続いていますね、故郷遠野も暑いでした。

体調を壊し熱中症かな?思ったら夏風邪でした。

皆様もお気つけてくださいね。


8月12日京都発10時半頃の東海道新幹線で東京へ・・・

東京から13時20分発の東北新幹線で新花巻へ・・・・

新花巻より釜石線に乗り換え、夕刻の18時40分やっと遠野駅へ・・・

やっぱり大阪⇒東北は遠い・・・最果ての地です。

13日より菩提寺の住職を迎えるための仏壇のお飾り・準備・・・

墓掃除・・・親戚の佛参り・その合間を縫って母・父の介護施設

での面会と慌しい一週間でした。

無理をしたせいか、17日頃より微熱有り、体調悪くなる・・・

帰る18日には既に熱は39度、食欲なく何をする意欲もなくなる。

最悪!看護師さんの一日休んだら!の忠告も無視、強引に18日

に予定通り帰ってきました。翌日救急車の世話になり病院へ・・・・

診断の結果は・・・・夏風邪だそうです。

Mさんいつも我ブログ訪ねて頂き有難うございます。

そんな事情でブログ休んでいました。





テーマ : 写真日記
ジャンル : 日記

プロフィール

toko0124

Author:toko0124
「TREASURE BOX」命名の由来:森羅万象この自然界・人間社会には美しい現象・風物は数々存在しますが、一方では打ち捨てられ・朽ち果てた風物・人間もまた数多く存在するのも事実です。このブログではそんな朽ち果て・打ち捨てられた事物を、同じように打ち捨てられた社会のゴミのような存在である私が拾い上げてアップしていきます。そんな中からキラッと光る宝物を見つけて頂いたら幸いです。1月4日「DUST PAN」改め「TREASURE BOX」に変更しました。

住まいは大阪北の端島本町に住んでいます、ここは京都を隣に控えているためもあり、いろいろ歴史的な遺跡が多数あります、メタボ克服のため連日デジカメ片手にそんな風景を撮りながら歩いています。また年に数回故郷岩手県の遠野に帰省し、時には民話のふるさと「遠野」の風景もご案内します。

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